かものはし日記2002年11月号


11月1日

濱マイクのサントラを聴く
テレビシリーズはいまいちだったけれど
メインテーマの曲は好き
せつなくて元気な曲

友人に勧められて
岩井俊二監督の「リリイ・シュシュのすべて」を観る
肉眼よりクリアなデジタルカメラで撮影した田園風景が怖いくらい美しい
剣道部(僕も剣道部)
合唱コンクール
子供の頃の痛い思い出がよみがえる
子供の頃って過酷だよね
小さい魂でよく耐えたな、俺は。って、思うような映画
人は存在自体が傷である、というラストの言葉は確かにそうなのだけれど
その傷をいやそうとするのではなく
存在自体が喜びであるというところの入り口くらいまでは連れて行って欲しかった

松井のメジャー行き
どうせなら松井ひとりじゃなくて
ジャイアンツごとメジャーに行けばいいのに(笑)

11月2日

友人の女の子が宮沢賢治の朗読をやるというので
神楽坂のギャラリーへ
普段はラテン系音楽のボーカリスト
美しくて、とおりのいい声はさすがミュージシャン
ギャラリーでは版画家の大野隆司さんとその仲間たちの作品も展示されております
いろいろな方とお会いできて
久々に
楽しかった

11月3日

今日の特命リサーチは「気配」について
生き物は微弱な電磁波をアンテナのように受信して
それを気配として感じるらしい
突然ある友人を思いだして
その友人が前から歩いてきたりすることは
少なからずあることだけど
それも友人が発する微弱な電磁波のパターンを
本人が覚えていて
それを受信して記憶とつながって起こる現象のようだ
直感みたいなものも
そういういろいろなもの(科学的に解明されていないものも含めて)
が重なって起こるのでしょうね
生き物は
世界のあらゆるものを受信する生体ラジオ。
宇宙には、世界には、いいラジオ番組が沢山あるのだけれど
人は、なかなか上手に受信できない
(直感がうまく働かない)
なぜなのでしょう
やっぱり「思いこみ」が過ぎるのでしょうか
こうありたい、とか
こうでなければならない、とか
そういった思いこみが
いい番組を受信できない理由のひとつかもしれません
思いこみを生じてしまうのは
人が言葉を持っているから?
言葉が人を思いこみに、妄想に、導いてしまうのか
言葉はノイズ?
言葉が地球との他の生命体とのつながりを絶ってしまうのか
言葉は地球の重力から離脱するためのロケットエンジン?
(言葉を発明してから、人類はすでに地球上にはいないのか)
でも
言葉が新たな宇宙のラジオ番組を見いだすこともあるのです
それは
詩の形態をとっていたり
小説だったり
誰かの優しい言葉だったり
・・・
言葉というのは不思議なものです
どんなところから発想しても
最終的には「言葉というのは何なんだ」というところに至ってしまうのです

11月4日

オーシャンズ11をビデオで観る
ソダーバーグ監督の作品はいつもそつがないよね
完璧だよね
脚本もしっかりしていて
勉強の為に2度も観てしまったけれど
感心はするんだけれど
感動はないんだよね
観ている観客までだます手法は
レッドフォードの「スティング」を彷彿させるしね
優等生的作品
いつも一番前で一生懸命授業を聞いている優等生を
一番後ろの席からぼーっと眺めている感じ
僕としては
窓際の席で
授業を聞かずにずーっと外を眺めている子の作品の方が好きなのだ
少年のようだったアンディ・ガルシアが
恰幅のいい悪党役をやっていて
ちょっとびっくり
ジュリア・ロバーツは
どうしても好きになれない顔

巨人の監督、原辰徳特集をテレビで観る
人は理屈では決して動かない
感情の生き物だから
人の気持ちを察することが出来る想像力と愛情
自分の身の回りのすべての人に
暖かい関心を
王さんとか長島と違い
普通の人だからできたことなのでしょうね
普通の人とは
普遍に通じる人
決めたことは変えないけれど
物事には臨機応変に対応する
インプロヴァイザーなのですね
選手を起用するとき
「今日は誰と失敗しようかな」という言葉が素敵
ものすごく楽しくて前向きなマイナス思考?
こういう指導者の台頭は
ちょっと日本が変わるきっかけになるかもね
(ぼくもすごい態度の変わりよう(笑)
去年の今頃は
何だよ、原かよ〜
と、がっかりしていたのに)

11月5日

テレ東で朝「雑居時代」の再放送をやっているんですね
小学生の頃観ていて大好きでした
とくに大原麗子が(笑)
大きくなったら大原麗子と結婚したいと
母親にいったら
もっと勉強しなければ、大原麗子とは結婚できないわよ、と
訳のわからないことを言われたことを思い出した

早朝の公園
鳩が日だまりに集まって充電中
ワオキツネザルとかイグアナのようですね

11月6日

戦争映画というのは基本的に食指が動かないのですが
やはり監督がリドリースコットなので
ブラック・ホーク・ダウンは観ないわけにはいかず
観てしまったわけです
ブレードランナーの頃のような
ファンタジックな映像スタイルではなく
陰影のはっきりした生々しい映像
(上空でヘリコプターが撃ちまくっているバルカン砲?の薬きょうが
下にいる兵士の襟元に落ちてきて
兵士が火傷するシーンとか)
優れた戦争映画ではあるのだけれど
やっぱり
アメリカ人のいのちは地球より重いのだ
と言っているような気がしてならないのは
僕がひねくれているからかな

11月7日

実は愛猫アナちゃんが死んで
6年も経っているのだが
まだお骨を持っていて
いい加減自然に帰してあげようと
今日の朝、後藤と一緒に川に流しに行ったのでした
曇り空
そして寒い
何でこんな日にアナちゃんを川に流しに行かなければいかんのじゃ
と後藤に悪態をつきながら(笑)
お線香を焚いて
川に流しました
ごめんねアナちゃん
ちょっとほっとしたな

11月8日

いかれたアップル純正内蔵ハードディスクをそのままにしておいていたのだが
いかれているわりには
ごちゃごちゃ音がしてうるさいので
パソコンをばらして取り除くことにした
パソコンていうのは、まだまだ家電じゃないよね
分解しなくちゃいけないんだから
炊飯器や冷蔵庫を分解したことなんてないものね
(炊飯器がフリーズしてご飯が炊けなかったこともないし)
まあ、僕のマックは
改造に改造を重ねて、すでにオリジナルなのは
電源だけなので
そういうことを言えた義理ではないのだけれど(笑)

11月9日

僕の行っている整体の先生の話によると
「骨盤とは、心である」ということらしいのです
骨盤の動きは心の動き
骨盤がよく動けば
心もよく動く
要するに腰が入っている状態ということ
人を描くときも
やっぱり腰まわりがメインだし
ある意味顔よりも重要かもね

11月10日

自分は何もわかってはいないということを
本当に実感している人は
(無知の知)
光を求めない
暗闇の中でも
大股で歩いていける
というような文章をとある本で読んだ
かっこいいねえ
暗闇の中を手探りで歩いている自分て
いろんなことがわかっているつもりだから
それを頼りに冷や汗をかきながら
探ってしまうんだよね
「光を求めない」
これにしびれちゃうね(笑)

11月11日

光を求めない
白い紙を前にして
何をしていいのかわからない自分を恥じていたのだが
恥じる必要はないのだね
わからないまま、腰に気持ちを入れて堂々とやればいい

11月12日

ベスト盤を聞いて
自分の好きな曲が入っていたためしがない
今回もそう
橋本一子の新譜が出ていると思って聞いてみたら
なんか散漫なアルバムだし
ぱっとしないけど聴いたことのある曲が入っているような
と思っていたらベスト盤
坂本龍一の3枚出ているベスト盤のうち
ソロベストとCM集を聞いてみたのだが
ソロの方は、好きな曲は「1919」だけだった
(1919は名曲だね
これだけで坂本さんは天才だ!
あのピアノの不協和音が気持ちがいいな
バックに流れるレーニンの演説もよい)
CM集はなかなか面白かった
ひとつひとつの曲に坂本さんの
コメントがあって
それがお茶目でよい

なんて思って
テレビを付けたら
ポール・マッカートニーが来日している
むかつく顔だ
俺はビートルズが大嫌い
(ジョージは好きよ、モンティパイソンのプロデューサーだったし)
(ジョンも嫌いよ
イマジンなんて、忌野清志郎が日本語訳で歌ったバージョンのほうが
ずっと素敵)
また麻薬所持で
強制送還されてスネークマンショーのネタになってしまえ(笑)

日米野球は
なかなか日本が頑張っているね
メジャーも今日あたりから大分調子を取り戻してきたようだし
木曜以降からおもしろくなりそう
松井が元気がないのがちょっと心配
井川はやっぱり阪神だ(笑)
ボコボコ打たれちゃって
大家はちょっと緊張していて残念
ノリさんとリトル松井(笑)はさすが
ノリさんは是非近鉄に残って欲しい
そうしないとパの火が消えちゃうもん
でもノリさんの方が松井より
メジャー向きの性格だね

11月13日

ジョディ・フォスターのファンなので
(あのえらアゴが素敵(笑))
あんまり好きじゃない監督フィンチャーの
「パニックルーム」を観る
マンハッタンの高級アパートメントを
宇宙船の内部にしたような映画
相変わらず愛のない
人間描写を記号のように扱うような監督だが
演出とセンスはさすが

11月14日

たくさんのテレビが砂浜に打ち上げられている
ニュースによると
貨物船の事故で
コンテナから流出した中国製のテレビらしい
なかなかシュールな映像
素敵な眺めだ
ヒプノシスがデザインしたレコードジャケットみたい
と思った方も多いはず
(30代以降・・)
ヒプノシスというのは
ピンクフロイドとかのジャケットなどでおなじみの
イギリスのアート集団
今でも活動をしているのかな
僕は
密かに
ヒプノシスのデザインコンセプトは
日本の写真家 植田正治のオマージュだと思っているのさ
彼のイメージはとてもシュール
ピンクフロイドの「炎」のジャケットデザインは
植田正治の砂丘の写真とそっくり

11月15日

絵を描くのをちょっと一休みして
外に出かける時
いつも手がパステルで真っ黒のまま
出かけてしまい
(時には真っ赤
時には真っ青)
お店でお金を出すときとても恥ずかしかったりするのだ
いつも恥ずかしい思いをしているのだが
ついつい手を洗うのを忘れてしまう

ラッセル・クロウが好きなので
ビューティフル・マインドを観てしまう
(こればっか)
一瞬感動しそうになったが
あぶないあぶない
所詮は戯言であった(笑)
どうもわれわれはこのパターンに感動するように
洗脳されているような気がする
いかれた数学者がノーベル賞をもらって
愛に目覚めたような気がする映画
(ひどい解釈)
ノーベル賞がそんなに偉いのか?
ノーベル賞を取ると愛に目覚めるのか?
ノーベル賞というのは
西洋的な還元主義とアメリカ的なヒロイズムに贈られる賞であって
賞をもらってもきょとんとしている
田中さんの態度が一番正しい
彼は賞など取らずとも妻をとても愛しているじゃないか
でも
分裂症の描写はおもしろい
分裂症に決着が付かないところがいい
実はちょっと気に入ってたりして
ひょっとするといい映画なのかな(笑)
次は
ケビン・スペイシーが好きなので
シッピング・ニュースだね(笑)

11月16日

シッピング・ニュースを借りようと思ったら
全部借りられていました
いま、TSUTAYAはビデオレンタル半額キャンペーン
どおりで

昔、担当だった美人編集者が
劇団ひまわりで演劇を勉強していて
公演があるというので
観にいく
今回で2度目
前回よりも
味わい深い演技になっています
さすが
脚本は前回と同様ジェームス三木
情に流されやすくて
自我意識の乏しい日本人には
民主主義は合わない、という話
しかし
知っている人が目の前で演技をしているというのは
ものすごくどきどきするね

昔、担当だった美人編集者と
夜中
ビールを飲みながら長電話
相変わらずクレバーなおねえさん
勉強になります

11月17日

イヴァ・ビトヴァの新譜が出ていた
チェコだっけかな
前衛バイオリニスト
IVA BITTOVA
「CIKORI 」
ロクスソリスより発売
10年ほど前の来日の時、観にいきました
ひとりワンスポットで
バイオリンを弾きながら
情熱的に歌う彼女
バイオリンというのはとてもヒステリックな楽器だ
ケイト・ブッシュが活動休止中の今
切れた音楽を奏でられるのは彼女だけ
理性の牢獄から逃げ出そうと
絶叫のような歌声と
ナイフのようなバイオリン
自分の中の美しい狂気を大切にしたい人にはおすすめ

ついつい観てしまう
テレビの心霊写真特集(笑)
今日は心霊映像特集だったけれど
こーゆう映像を電波に乗せて
全国的に流すのはいかがなものか、というのはさておいて
映像に映った霊体を観ていると
恐怖よりもせつなく思ってしまう
多分
身体というものを失った魂は
感情をフィードバックできないのだろうと推測する
生きていれば
体があれば
たとえ落ち込むことがあっても
そのうち状況も変わるかもしれないし
気持ちも変わるかもしれない
でも感情のフィードバックできる体を持たない霊体は
悲しみは永遠に悲しいし
憎しみは永遠に続く
絶望はずっと絶望のままだ
気持ちを切り替えられない。
体が存在してこその魂
自分の気持ちをどういう状態にでも変えることのできる
身体という存在に感謝
今日は
お風呂で念入りに体を洗ったりして(笑)

11月18日

パソコンというのは
買った瞬間に
そのメーカーが敵になる
敵は、さらなる新製品(むやみなOSのアップグレード)の為に
買ったばかりの僕のパソコンを少しずつ見捨てようとしてるからだ
サポート体制なんて
上辺だけの親切
敵に対抗するには
サードパーティ製品で武装して
改造を重ね
メーカーの新戦略についていくしかない
次々と新製品を買わせたいメーカーにとってみれば
これはある意味テロ行為に近い
近いうちに
僕のうちにもアップル社の査察が入るだろうが
断固拒否の構え(笑)

シッピングニュースは素敵な映画でした
こーゆう映画が好み
素敵なセリフも多い
ミスマッチなアフリカンリズムのテーマ曲
世界は
謎に満ちている
そして
世界は
常に変化する
愛も憎悪も喜びも悲しみも
波のように
波の上の船のように
人はいったりきたり
奪われた自尊心はとりもどすことができる
傷ついた心もやがては癒える

11月19日

ここ数年いろいろな文章を読んだ中で
一番素敵な文章だったので
勝手に転載します
野口晴哉(はるちか)氏は野口整体の創始者です

「雨と風」 野口晴哉

人間の生きているのは苦しむ為だ
その苦しむことが楽しくなるまで生きていることが養生というのだ
犬も猫も苦しければ逃げる
人間は自分の心身が苦しいことだけが苦しいのではない。他人の苦しみも苦しむ、世界の一切の動きに苦しむ。
人間の向上とは苦しみを拡げることだ。
動物の苦しみから人間の苦しみへの展開こそ人間の向上だ。その苦しみに徹し、苦しむことが楽しくなるまで苦しむことだ。
苦しむことを拡大し、一切の苦しさに苦しむことが進歩というものだ

良きことも悪しきことも外にあるのではなく、自分のそれに処する能力にあるのだということは明らかだ
それなのに悪しきことを避け、良きことを求めようとするのは何故か。
弱いからだ。
その心が起こるそのことがもう能力のないことを示している
そうしている限り安心はない。安心がない限り良いことも悪いことも心配の種だ

良いことは失うまいとし、悪いことは早く去れと希う。
ことの善し悪しに拘わらず、それに処する能力さえあれば、求めず、避けず、いつも悠々としていられる。
それなのに何故、ひとはあくせくしているのか。
良いことや悪いことが外から来るのだと信じているからだ

能力がなかったら伸ばせばいい
腕の力でも、脚の力でも使っていけば強くなる
人間の一切の力を伸ばすことは難しいことではない
苦しいことをどしどし拡げて、苦しいことが楽しくなるまで苦しめば、それでよいのだ
苦しむことが楽しくなり、苦しんでいることが面白くなったら、それで能力が拡がったのだ
依りかかることをやめて、自分で立つ。たてないで転んだら、また立つ。
また転んだらまた立つ。

立つ意志がある限り人は強くなり、その意志がある限り、転ぶ毎に人は伸び、能力は増える。
転ぶことを厭うて、立たない人はどんどん弱くなる。
自分の脚であるかない人は歩けなくなる。立てなくなる。
立てなければ転ぶこともできない。

それなのに、転ばないことを慎重のつもりでいる人もある
慎重と用心は人が先のことがわかるつもりでいることから始まる。
これは智恵のある行為だ
しかし、その智恵のため決断と実行を失って、人は眠ってしまっている、しかも、眠っている間に気が抜けてしまう

失敗したらやり直すだけだ。
失敗をいくら繰り返しても、失敗を活かそうとしている限り、失敗はない
そしてそういう人間に失敗はない

それ故、
安心は何もかも全く知らないでポカンとしているときと、
何もかも知り尽くして、その時そのように処する能力を持っているときだけにあって、
慎重と用心からは生まれない
何もかも知り尽くすということは、
何もかも判らないと言うことが本当にわかったことをいうのだ
何もかも判るつもりのうちは、判るということはない
知り得ない人間が、知り得ない世の中を知り得ないままに歩んでいる。

手探りしている人は、知り得ないことを知っていない人だ。
知り得ないことを知った人は、大股で歩んでいる

闇の中で光を求めているのは、知り得ないことを頭で判った人だ。
知り得ないことを本当に納得した人は光を求めない、また頼らない。
その脚のおもむくままに、大股で闊歩している。彼はその裡なる心で歩いているのだ。

後ろを振り返るのは弱いからだ。手探りをするのは信なき者だ。
足元を見ているのは、先の見えぬことを腹で判らぬ人だ。
あわれなことにそういう人はいつも汗をかいている

(昭和20年)

しびれちゃうでしょ?
かっこよくって
こーゆうのがほんとのハードボイルドっていうのかな
昭和20年
ちょうど戦争が終わった頃ですね
戦争が、光を求めようとしているおろかな行為に他ならないと
言っているのかもね

友人のサイトの日記を観たら
元ピンクフロイドのデイブ・ギルモアのコンサートの
DVD映像がクイックタイムで観られると書いてあったので
早速行ってみたら
あまりによくって、ついDVDを買いタワーレコードに行ってしまった
すっかり年取って太って
ジャバ・ザ・ハットとジャック・ニコルソン
を足して2で割ったような顔をしてはいるが
いい顔をしてました
品のいい大人のロックコンサート
ボブ・ゲルドフやロバート・ワイアットがボーカルで参加したりして
感涙
ピンクフロイドの場合は
昔(70年代)より今の演奏の方がよい
歳を重ねた方が味がでる楽曲なのかも
キングクリムゾンは
昔の方が
若々しくてへたくそな方が
生命力にあふれていてかっこよくていいんだけど
(今はうますぎてつまらない)
フロイドは
今の方がいいね

11月20日

デイブ・ギルモアのライブDVDには
一曲ピンクフロイドのピアニスト、リック・ライトが参加している
いい感じに老けていて
優しげな大学教授みたい
ピアノはもちろんボーカルもとっている
フロイドは脱力系音楽だね
キングクリムゾンは緊張系音楽
どちらも好き

雲が多くて
獅子座流星群は見えませんでした
空を見上げているカップル
空を見上げたって
空からお金が落ちてくるわけじゃないものね、と彼女
そりゃそうだ
たとえお金が落ちてきても
大気圏で燃え尽きちゃうからね、と彼氏
空へのロマンチズムも好きだけれど
現実的な会話も素敵(笑)

テレビを付けた瞬間
アルゼンチンはなにかもう
魂が抜けていたように見えた
6月に会った彼らではなかったのだが・・
日本に2-0で勝っても
プライドは取り戻せないかも。
日本は明らかに点を入れられると
腰砕けになる
腰が入ってないよ
やっぱりトイレを和式に戻すべき(笑)
(いや、まじで)
黒人の身体能力の高さは
全身というよりは
軸が(腰が)ぶれない強さ
あと
日本の野球選手は緩急を上手に使うのに
サッカー選手はどうしてそれができないのだ
といいつつも
結構面白い試合でした

11月22日

幸せとは自尊心を満たすこと
誰かと比較してこそ幸せが判る
幸せとは相対的なもの
アインシュタインが世界を相対化して以降
幸せが相対化し
ひとりひとりの中にある絶対的な幸せが駆逐されてしまった(うそ)
このまま世界が相対化し続けると
ひとりひとりの心の中に
寂しさだけが絶対化してしまうことになる
相対化は自分の中だけでした方がいい
そうすれば
幸せも自尊心も外界からの影響をうけなくなる
強くなれる
なーんて思ってもそんなことは簡単にできない
頭の中で
論理を構築しても何も起きない
行動に移さなければ何も起きない
行動こそ祈りであると誰かが言っていた
人間は動物なんだから
「うごくもの」なんだから
とりあえず、動く
そして疲れるまで動いて
寝る

11月23日

後藤のパソコンの設定を手伝う為に
後藤のうちに行く
(後藤はパソコンが苦手というか嫌い)
その後お好み焼きと広島焼きともんじゃ焼きを食べに行く
お酒はビールじゃなくて、熱燗
いい季節だね
外が寒いと雰囲気がでるね
もっと寒くなれ
暖冬なんか大嫌い

11月24日

後藤のメールアドレスが変わりました
momochan@js7.so-net.ne.jp
ももちゃんとは
後藤のマンションの大家さんちのワンちゃん
僕も一度彼女と散歩をしたことがあります
犬もけっこうきまぐれ
(猫のような犬もいるし、犬のような猫もいるのだ)

友人の女性が
恋の悩み相談のため
ベビースターラーメンをおみやげに持ってやってきた
(おい!)
(まあ、ベビースターラーメンは俺のソウルフードだからな)
状況は
ジョン・アーヴィングの小説のよう
少しの忍耐と優しい心で
成り行きに身をゆだねる
それしかないよね
今は動くべきではないというところかな

世界で一番すごいドラマーだと僕は思っている
芳垣安洋の待望のリーダーアルバム
vincent atmicusのCDを買った
久々にすばらしいアヴァンギャルド・ジャズ
音がおおらかにうねる
このCDで師走を乗り切れそうな気分

夜中
NHK教育で名作映画「ナバロンの要塞」をやっていたので
観てしまう
子供の頃
父と母と弟と手に汗握って観ていたのだ
とくにラストのエレベータに仕掛けられた爆弾が爆発するシーン
スパイのおねえさんの背中がはだけるシーンも
子供心にショッキングであった(笑)
子供の頃の日曜洋画劇場の定番は
ナバロンの要塞
荒野の7人
ベン・ハー
死ぬほど観たな(笑)

11月25日

人を愛おしいと思う、今日この頃
人間というのは動物なんだから
どろどろと泥にまみれて生きていく
そういうのが素敵って、最近は思うんだよなー
良い悪い、正しい間違っているというのが
判断の基準じゃなくなってきたというのかな
面白いっていうのが大事
面白いって
矛盾を受け入れるでしょ
そういう感じ

ラテン系女性ボーカリストとランチ
実は彼女と実用書と絵本の間のようなもの(まだどうなるか判らない)の企画を立てているのだ
うまくいけば来年には出せるかな
彼女の話を聞いていると
人生がめちゃくちゃなのでとても楽しい
さすがラテン系
僕も負けじと友人知人の女の子のめちゃくちゃな話をしたりして
(自分じゃないところが悲しいが)
女の子たちよ
めちゃくちゃに生きてしまえ
感情に忠実に
(本人はものすごく大変みたいだけれど)

11月26日

今日の夕食はビールとおでん
最近は昼食がメイン
朝と夜はあまり食べない
キリンの毬花というビールはなかなかおいしい
生のホップを使用しているらしい

絵を描いていて
バランスをとろうとすると
つまらないこぢんまりした絵になるけれど
知らないうちにバランスがとれていた、という絵は
ものすごくおもしろい
どんな風にしようとも
自然にバランスがとれてしまうというのが
生命力っていうやつなのかも

11月27日

最近は夜の散歩が楽しい
街というのは、夜と昼とではずいぶん様子が違う
おかまが携帯で怒鳴っていたり
恐い顔をしたおじさんににらまれたり

生きていくということは
瞬間瞬間がなにかのクライマックスで
クライマックスの積み重ねという
劇的なことの連続なのだね
気を付けていないと
見過ごしてしまう
注意して
それを見つけだすのが
大事


back