かものはし日記1999年4月号


4月1日

大きい植木鉢に移し替えたうちのポトスは
何となく元気がいいように見えます
猫を撫でると
毛艶で健康状態が判るように
葉っぱを撫でると何となく元気かそうでないかが判るような気もします
植物は動物よりリアクションがはるかに微妙なので
より繊細に
感受性を研ぎ澄まして
対応しないといけないのでしょうね
植物の気持ちが分かるほど繊細な人と言われたい(うそ)

本を整理していたら
アナクロの爪とぎにされてぼろぼろになった本が見つかり
生きていた頃の彼女を思いだししみじみする
((注)アナクロとは2年前に死んでしまった猫です)
(工作舎の本が多いのはなぜ?)

日本のサッカーとブラジルのサッカー
ブラジルは明らかに日本と戯れてサッカーをしているのだけれど
日本は日本だけでサッカーをしている感じ
技術的な差はまだまだあるんだろうけれど
もうちょっとブラジルと会話をして欲しい
ブラジルは日本のサッカーとちゃんと会話をして
日本のサッカーを受け入れ尊敬し愛しているから
強いんだと思う。
サッカーがこれだけ世界中に受け入れられているのは
お互いと戦うのではなく分かり合うスポーツだからだと思うけどな

以前も書いたと思うけれど
僕は元々は神秘主義者で理科系で
下手をすればテロ宗教団体の一員にもなりかねない素養があったのだけれど
(ま、協調性がないから組織には入らないとは思うけどさ)
それを救ってくれたのは絵を描くことで自分の内面を見つめられたこと
さらにみなさんが僕らの絵を受け入れてくれたことが
一番大きいのです。
ありがとう
感謝しています
この星で僕に居場所があるのはみなさんのおかげです
なーんてことを書いたのは
今日はうれしいけれど
ちょっと寂しいことがあったので・・

4月2日

居場所というよりは座標か・・
宇宙の大きな流れの中で
自分の座標を常に認識している人は素敵だよね
なかなか難しいけれど

なんだかまるで
J.G.バラードの小説「狂風世界」のように
風が強い東京。
天候は多分地球の感情だから
何かやるせない、身もだえするようなことでもあったのかのような
そんな風

僕らの芸風を考慮すると
書かないほうがいいのだが、でも書いちゃう!(後藤に怒られるな)
夕方原稿の受け渡しを喫茶店でして
受け渡し終了後喫茶店のトイレに入ろうとしたら
中でバーさんが用を足していて
ばばあのけつを見てしまった。
さらに、入っているわよ!と怒鳴られる
トイレで用を足すときは鍵くらい閉めようね、ばあちゃん
さらに
半扉で用を足すのはやめよう
誰だってノックすらしないと思う。
別にさして悪いこともせずに
慎ましく暮らしているのに
どうしてこういう目に遭うかな(笑)
こういう理不尽な目に遭うとおれって結構落ち込むんだよ

4月3日

今日もお花見
今日は暖かくて桜が満開で
お花見には一番いい日でした
桜は本当に綺麗です
花というのは不思議ですね
生物学的にはいろいろな理由があるのだけれど
地球の生き物たちの心の傷を癒すためにあんなに美しいのでしょうね

4月4日

口論というのは戦いですけれど勝ち負けではないのです
勝ってしまったところで
勝者には孤独しか残りません
どちらかが口論の最中ある瞬間に双方の接点を見つけて
どろどろとしたののしりあいという闇の中に光を見つけて
(接点や光は必ずある)
上手に負けてしまう
そんな瞬間は
自分が負けを認めても
相手に負けを認められても
素敵な瞬間です
生きている実感です

4月5日

親戚の女の子に誘われて
西麻布のライブハウスへ
F.E.O.D
ベースとドラムのユニット
ジャンルはうーん
サイケ・プログレ・ジャズ・ちょっとテクノバンド
ジャンルはどうでもいいか
すごくかっこよかった
久々に大音量のリズムの海の中に浸ったという感じ

ライブの前に
トニーレヴィンファンクラブの方々とお話ができたのも楽しかった
プログレ話をするのは久しぶり

4月6日

もう存在しているのかもしれないけれど
シェアウェアかなにかで
電子メールの文面を
まるで涙が落ちてにじんだようになるソフトってないかな(笑)

最近は天候不順
いい天気だと思って洗濯物を干したら
すぐに雨になって濡れてしまった
でもそのまま部屋の中で乾かして着るのさ
もう一度洗濯したりはしない
めんどくさいもん

4月8日

今日は天気も良くて
適度に空気が冷たくて適度に風が強くて
僕の気持ちも適度にすっきりしているので
洗足池に散歩に出かける
洗足池にはお花見で出店がたくさんならんで
(イカやきとかたこ焼きとか焼きそばとか・・)
とてもにぎやかだけれど客がいない
そうだよなー、平日だもの
4月の初めのどれかの日を
桜の日にして祝日にすればいいのに、とふと思う

4月10日

古本を買う楽しみの一つ
買った本を開くと
おそらく前の持ち主が引いたと思われる鉛筆のラインが
本文のあちこちに見受けられること。
彼にとってはその文章が
そのときの自分にとってとても重要であったり
感銘を受けたりしたのでしょう。
そうか、ここにも、この部分にもラインが引いてある・・
何となくラインを引いている場所から
彼のパーソナリティを想像してしまいます。
彼が何を大切にして生きようとしているのか、とかね
あ、この人はこの文章を何かの口論のときに使おうとしているな、とか
この部分は僕と同じだ、とか
僕との接点が見つかるとちょっとニヤッとしてしまいます。
そう、なんかうれしい
(こーゆうのもある意味ネットワークなんだよね)
僕もたまに本の好きな文章にラインを引いたりすることがありますけれど
しばらくして読み返すと
なんでこんな所にラインが引いてあるのだろう
って思うことが多いです。
その瞬間瞬間の想いがラインを引かせるのでしょうね。
みなさんも
本を売るときには好きな部分にラインを引いてから・・(笑)

4月11日

最初目立っていた主人公が
だんだんと影が薄くなり
脇役がどんどんのさばってきて
ラストに
あれ、そういえばあいつどこにいっちゃったんだ?
と脇役たちに言われてしまう
そんな映画を撮ってみたいって、ふっと思った。
うる星やつらって漫画あったでしょ
あの漫画は脇役どもの異常さがどんどん激しくなってきて
最終的にはラムちゃんが普通の女の子になっていた
というプロセスが僕にはなんだか魅力的でした。
(いや、全部は読んでいないので断言できないけど・・)
ほんとに普遍的で素敵なものって
ほんとに微妙で目立たないんだよね

都知事選挙の投票に
近所の小学校へ
投票後、校庭の隅にウサギ小屋があったので
ちょっとのぞきに行く。
大きい黒いうさぎと白いウサギ
小学生に飼われるって結構つらいよね
そういう顔をしていた。

4月12日

公園のベンチに座っていたら
大きいサバ猫(首輪をしていたから飼い猫)がのこのこやってきたので
ガバッと抱きしめて
しばしふたりでぼーっとする。
そしてぼーっとしながらこう思うのだ
21世紀の科学は
因果律ではなくシンクロニシティだ、と
因果律に従って世界をモデル化して未来を予測するのではなく
現在のみに心を開いて世界との関係性を把握する。
僕「そうは思わないですか、にゃんこ先生!」
にゃんこ先生「にゃーん、そう、時間を止めるのじゃ、わかるか?青年」
僕「ありがとうございました」
(よくわかりませんけど・・)

4月13日

今日は天気が良くて気持ちがいいので
散歩とはいえ
あまりに遠出をしてしまい
へとへとになってしまったので
帰りは電車で帰ってきた。(根性なし)

月はどんな生き物の卵なんだろう?
それはいつふ化するのか、とか考えたことありません?
ないよね
すまん

4月14日

恐怖心や不安感をある程度コントロールする術は
良しにつけ悪しきにつけある程度身に付いているとは思うが
恐怖心や不安感が
正しく働いているのかどうかを
(正しくという表現はちょっと意味不明だけれど)
見極めるのは難しい
情報過多によってもたらされる感性の鈍化が
恐怖心や不安感に悪影響を与えているかもしれないって思うのだ。
僕は
ちゃんと怖がりたいし
ずっと不安でいたい。
そしてそれが生命体として正しい反応であることを切に願う。
(この正しいっていう表現はちょっとひっかかるが
他に言いようがないので許してちょんまげ。)

ほーんと気持ちのいい日だな、今日は
こんな日は散歩と昼寝に限るんだけれどね・・

4月15日

散歩の途中で本屋に立ち寄る
本を一冊買う
喫茶店に入り、本を読むふりをしながら
隣の人の話し声に耳を傾ける。
本を読むより他人の話を盗み聞きしていたほうがはるかに面白い!
はずだが、ちっとも面白い話をしないので
不覚にも本を読んでしまう。

本はねえ、大好きだけれど大嫌い
基本的に読書は嫌いだ
読むのめんどくさいじゃん
(小学生の時図書館で借りた本は6年間で5冊だ!、思い知ったか)
いったい何の役に立つというのだ、本なんて
本を書くとき・・は役に立つ、うん
むかつく誰かを論破するとき・・は大いに役立つ(非道い奴)
思いつくのはそのくらいかな?
でかい本屋や図書館に行くと
今まで人類が積み上げてきた膨大な思想体系がすべて無に帰せばいい
と半ば本気で幻想する。
(実際そうなるような気もする・・
そうなったらいいよね、みんな、もう勉強なんかしなくたっていいんだぜ!)
でもやっぱり好きかな
素敵な本があるんだものね、この世には

4月16日

スタートレックの新作の試写にいく
ほんのちょっといい話(ギャグも良い)
アメリカ人は映画で反省をする国民だとおもう
でも本当には反省していない
反省する自分に酔っている
その酔い方がかっこいい、ただそれだけ
人の魂の研究に余念がないアンドロイドのデータも
トロイにお風呂で髭を剃ってもらった副長も
思春期?を迎えて血気盛んなウォーフも
マンボが好きなピカード艦長も
みんなみんな優しく人間くさくて誇り高く凛々しくてかっこいいのだ
彼らは近代自我の理想的な具現者だ
何となく目頭は熱くなるんだけれど
なぜか虚無感
(なにがいけないんだろうね?)

4月17日

いくら予想どおりとはいえ
中日が11連勝(今日は負け)もしてすっかりセ・リーグがつまらなくなった腹いせに
言うわけじゃない、いや言うんだけれど
野球の時代は終わりました(笑)
人生はゲームである、という言葉はあまり好きではないけれど
ある意味正しいと思う
では、どうせ人生がゲームだとするならば、せめて種目を変えたい
そう、サッカーに変える
野球は練習から試合まですべてシステム
ピッチャーが一球投げるごとに指揮官がサインを出し
打者はそれに従う
でもサッカーは練習ではシステマッティックな戦術を体に覚えこませるけれど
試合が始まったとたん
水の中の魚のように自由だ
ピッチという渦巻く流体の中でひとりひとりが流れを見極め
自由に泳ぐ
そして自然に一つの流れ一つのうねりをつくる
それは戦術練習がそうさせるのではなく
練習で培った選手同士の関係性がそうさせるのだとおもう
日本がセットプレーでしか点が取れないのは
まだまだサッカーの中で野球をやっているから・・
野球を人生に置き換えて語る人はたくさんいるけれど
サッカーに置き換えて語る人はまだほとんどいないものね
(これからきっと増えると思う)
もう野球の時代は終わったのです
さらばプロ野球
大好きだけれどさようなら・・(でも、たまには観る)

この春から恋愛関係のバラエティ番組が増えたような気がする
恋愛というのは失恋するためにするようなものだな(笑)
失恋ていうのはいいよー
恋愛をして幸せな時って回りのことなんかどうでもいいし
全然気にもならないけれど
失恋した瞬間
何かから解き放たれ、世界が輝いて見えるよ
世界のささやかな場所がほんとにほんとに愛おしく思える
ひとりぼっちになった瞬間じつはひとりぼっちじゃないってわかるもん
自分が踏みしめている大地が
実感としてひしひしと伝わってくる
仏教的な至高体験っていうやつを経験できる(これはうそ)
人生の要所要所で失恋をするのも良い(これもうそ)
おれも一生のうち10回は大きい失恋をしたいと思っている(うそだよ)

4月18日

今が時代の変わり目ならば
世界は何かに失恋する
ずっとずっと愛していた何かを失う
そして
その甘美で非情な喪失感の中から何かを見つける
なんでしょう?
僕に限って言えば
言葉の「意味」と失恋したい
「意味」と失恋してその悲しみの中で
言葉の「リズムとハーモニー」を獲得したい
そして、可能ならば
言葉の「意味」ではなく
言葉の「リズムとハーモニー」で思考したい

4月19日

アイデアに詰まると誰かが
かとうさん、アイデアは空からいっぱいふってくるのよ
みんなそれに気が付いていないだけ
だから落ちてきたところをがばっとキャッチすればいいのよ
とか言っていたけれど
天才じゃあるまいしそんな器用なまねができるもんかと
にこにこしながら思っていた
では凡人はどうするか
空からふってきて地面に落っこちているやつを拾えばいい
ただし
空から降ってくるやつと同様目には見えない
こういう場合
足下に注意を払わず前だけを見つめてひたすら歩く
そうすっと必ずなんかにつまづいて転ぶから
転んだときに手にぶつかったものをひっつかんで立ち上がる
ちょっとエレガントさには欠けるが
これが一番うまくいくのだ

4月20日

図書館で
ウテ・レンパーのCDを見つけて大喜びで借りてくる
タイトルも良い
「危険な愛」(93年 ポリドール)
クルトワイルの最高の表現者である彼女の初のオリジナル歌集

天気がいいので
お弁当を買って
公園で食べる
菜の花のいい匂いがする

世の中いろいろひどくなってくると
人の欲望に対して
否定的な意見がたくさん出てくるのだけれど
人間の奥底にある究極の究極の究極の欲望って
「誰か(世界)のために役に立ちたい」
ってことだと思う。
欲望を否定するよりもっともっと掘り下げてみる方が
より建設的

4月23日

新しいめがねを作る。
というのも、今まで使っていためがねのフレームがおれてしまったから
サッカーの中田のせいかどうかは分からないけれど
最近のめがねフレームの流行は
細長くてレンズの小さい中田めがね
今まで使っていたような丸っこい感じのフレームが無くて
選ぶのにほんとに困った。
結局中田めがね・・(O-プラスのCMに出てくるやつ)

サッカーU-20決勝進出
すごいねえ
日本は若くなればなるほど
流体感覚を持った若い人たちが増えているんだね
きっとサッカーだけじゃなくて
他の分野でもそういう感覚を持った若い人たちが台頭してくると思う
これから
そういう感覚にあった社会を再構成していかないと
少年犯罪とか増えていくのかも
彼らは今までのようなソリッドな社会には適応できない。

「きらきらひかる」の特番を観る
久々にかっこいい彼女たちに会えて幸せでした。
(ビデオにとって二回観ちゃった。)

4月24日

雨はいい
特に豪雨は
だって雨の音しか聞こえないもの
東京のすべての人工音が雨によってかき消される
とっても静か・・
東京に降る雪が東京を真っ白にするように
雨のホワイトノイズが
東京の人工雑音を真っ白にする。
でも明日は横浜FCの開幕試合を観にいくので
明日は晴れてね
(初夏の太陽を浴びながらビールを片手に・・)

4月25日

朝起きたら雨だった
そうか、今日は傘を差しながらのサッカー観戦かと思いきや
雲と雲の切れ目から光が
光あれー!
あっという間に晴れ渡り、大喜び
(日頃の行いの良さがこーゆう時・・(笑)
日曜美術館を観ながら、出かける用意
(なんで、司会の緒川たまきさんは朝っぱらからノースリーブなのか?
いいのか?朝からあんなエッチな格好をして・・
と思うのはおれだけか・・
僕は女性の体の中で肩が一番好きなのさ)
さて
横浜国際競技場へ
2002年のWカップのフーリガン対策だとおもうけれど
客席とフィールドの間に深さ3メートルくらいの溝がある。(さすが)
今日の試合は
横浜FC VS ジャトコFC
横浜FCは去年吸収合併されて消滅した横浜ブリューゲルスを横浜市民が復活させて、特例でJFLに参入した新チーム
監督はあのリトバルスキー(元ドイツ代表)
友人のおねーさんが横浜FCの会員なので
誘っていただいたというわけ
早速ビールを買い込んで試合開始
横浜FCのファンなのに席はなぜかジャトコのサポーター席
(だって空いているんだもん)
ジャトコ応援団のリズムセクションは
練習してんだろうなー、なかなか見事。
横浜FCはアマチュア相手(ジャトコ)に大苦戦
ビール片手に
怒鳴る
わめく
(会場に行って応援すると暴れたくなる気持ちはよくわかる)
あっという間に2時間たって延長戦まで観られて大満足だけれど
結果は2-2で引き分け
(ジャトコの方がチームとしてのまとまりがよかった)
国際競技場はほんとに立派な建造物で
ここでワールドカップの試合が観られたらどんなに素敵だろう
と思いつつ
横浜FCが5-0で勝つと思いこんでいたおねーさんをなだめつつ
横浜中華街へ・・

4月26日

腰痛再発
いてて
くるぶしとかかとの間に腰痛のつぼがあるんだけれど
そこをこすりすぎて
皮がむける(泣)
ひりひり

昨日録画しておいた「あるある大辞典」を観る
テーマは「呼吸」
正しい呼吸法の紹介
あるある大辞典ってほんとにいい番組だよね。

絵を描いているとよくあるんだけれど
あれ、この絵は以前描いたことがあるなあ
って、ふっと思ったりします。
(決して以前描いたことはないんだけれど)
こうやってこの世界で生きているということは
生まれた時
記憶喪失のまま世界に放り出されて
手探りで
少しづづ何かを思いだしていく作業なのかもしれません。

4月27日

街道沿いを歩いていたら
いきなり虫が飛んできて
左胸に張り付く。
鮮やかな黄色と緑のコントラストが美しいかみきり虫?
しばらく胸に生体ペンダントをつけて歩く

4月28日

前日に筋トレなんてやったものだから
腰痛再再発
下り坂は平気なんだけれど
上り坂が痛くて登れない。
一瞬、家にたどり着けないかと思ったが
なんとか痛みをこらえて登り切る。
でもまだこの程度ではかかりつけの接骨医に行くわけにはいかないのだ。
だって、病状が軽いと怒られるんだもん
この程度で来るな、うちはもっと重病人がいるんだってね。
でも本当にひどくなったら
医者にいけなくなっちゃうんだよな
動けるぎりぎりのところの見極めが勝負!

4月29日

何か辛いことがあると(失恋とか)
胸が痛むという比喩的表現がある
経験したことがある人は分かると思うけれど
あれはほんとに胸が痛くなる。
思うに
心が抱えきれない痛みを
体が物理的な痛みに変換して
半分肩代わりしてくれているんだよね。
(体に感謝)
さて
この腰痛
だんだん悪化してきたけれど
僕のどんな心の痛みを肩代わりしてくれているのか?
最近は元気なので思い当たる節はないし
やっぱり筋トレ?
腰痛になると
簡単な動作も激しい痛みを伴う
普段何気なく行う動作に体が(骨が)どれだけの負担を抱えて支えているか
よくわかるのだ。
骨一本一本が実感できる。
こんな時じゃないと骨の苦労は分からなくて・・
骨さん、ありがとう
と感謝をしたい。
(いっぱいひじきを食べるからね・・)

4月30日

人間の体はラジオで
宇宙のどこかに宇宙のあらゆる情報を発信している宇宙放送局がある
と妄想してみる。
なにかすごいアイデアもちょっとしたひらめきも
宇宙放送局から送られてきた電波を
体が受信しているわけだ。
宇宙放送局には無限のチャンネルがあって
たとえば治療放送なんていうのもあるんだな。
そのなかから周波数を「腰痛」にあわせてみる。
そうすると腰痛はみるみるうちに収まって
すっかり元気
なーんてことがあったらいいねー
(痛みで頭がおかしくなってきた(笑))


back